批判されるほど「自分は正しい」と確信する人たち

「人はたいてい、
自分が望むことを喜んで信じる」
- ユリウス・カエサル(古代ローマの軍人・政治家) -
世の中には、
絶対に自分の非を認めない人がいる。
明らかに自分が間違っていたり、
自分に非があったりしても認めず、
それどころか相手を攻撃してくる人までいる。
SNSでは
「謝ったら死ぬ病」なんて
揶揄されている人たちだ。
こういう人は、
コンプレックスの塊であることが多く
非を認めてしまうと自尊心が酷く傷つくと思い込んでいる。
だから、絶対に認めるわけにはいかない。
でも、
冷静に考えればわかる通り、
100%正しい人間なんて存在しない。
誰だって間違える。
・知識不足
・確認不足
・能力不足
・情報収集不足
・理解力不足
理由はいくらでもあるけど、
人間なんだから間違いがあって当然だ。
AIだって
しょっちゅう間違えては、
僕とケンカしている。
僕自身もできるだけ
正確な情報を伝えられるよう
一次情報を調べて引用しているけれど、
それすら「スタンフォード監獄実験」のように、
後の検証で科学的妥当性そのものが
疑問視されることだってある。
これは避けようがない。
自分の間違いを認められない人は、
議論を単なる「勝ち負け」でしか判断できない人だ。
情報が正しいかどうかではなく、
自分が勝つか負けるかしか見えていない。
でも、
議論というものは
「勝ち負け」を決めることより、
「建設的なゴール」に
たどり着けるかどうかのほうがずっと重要だ。
この前提を
共有できない人と議論をしても、
正しい情報が得られないどころか、
おかしな方向に誘導されてしまうことすらある。
批判を正当化する「ガリレオの詭弁(きべん)」
ペテン師がよく使う手法の一つに
「ガリレオの詭弁」というものがある。
※参考:https://ul-plus.com/l/m/i7x6Wwr4IpOcF4
これは、
「地動説を唱えたガリレオも、
当時は理解されずに迫害された。
自分もいま、
世間や専門家から否定されている。
だから自分もガリレオと同じで、
後から正しさが証明されるはずだ」
という論法のことだ。
「迫害された天才ポジションを取る論法」
「否定されていること自体を正しさの証拠にする詭弁」
「少数派であることを根拠に正当化する論法」
「いま理解されないだけ論法」
言い方はいろいろできるけど、
要するに、論点をすり替えて
「批判されているのは自分が正しいからだ」と
思い込ませるテクニックだ。
ガリレオに謝れ。
たとえば以前、僕は
ブログ記事をパクられた人たちから
相談を受けて、以下の記事を書いた。
▼【注意喚起】AIにブログ記事をパクられた場合の対処法
→ https://ul-plus.com/l/m/sCrkcbY3HW7cFY
他人のブログ記事を丸ごとコピペし、
ChatGPTにリライトさせて量産している
「お行儀の悪い」連中への警鐘だ。
この記事は
SNSでもかなり話題になったけど、
それに対して以下のような
クソリプが届いたことがある。
「AIに記事を書かせるようになると、
自分が紹介している文章術の教材が
売れなくなるから必死ですね。
新しい手法はいつの時代も批判されるものです。
あなたのような時代遅れの老害には
わからないかもしれませんが、
これからはAIの時代です。
AIに文章を書かせるのは当たり前になります」
・・・こんな調子のリプライだ。
ただ、
まともな感覚があればわかると思うが、
あの記事で僕が言いたかったのは端的に言えば、
「他人の記事パクんな、バーーーーーーカ」
この一言に尽きる。
新しい手法云々は1ミリも関係ない。
そもそもAIを使おうが
使うまいがパクったらアカン。
それなのに、
「新しい手法は批判されるものだ」と
論点をすり替えて、自分の正当性を主張してくる。
これこそが「ガリレオの詭弁」だ。
「記事をパクるな」という話を、
「自分たちが批判されているのは時代を先取りしているからだ」
という話にすり替えている。
先取りどころか遅いんだよ。
もし正当な議論に持ち込みたいなら、
「なぜ他人の記事をパクっていいのか」を
論理的・法的・倫理的に説明すべきだろう。
たとえば、
「私たちは検索上位にいる
ブログの運営者に直接連絡を取り、
『あなたのブログ記事をコピペしてAIでリライトし、
自分の記事として使ってもいいですか?』と確認した上で、
きちんと許可をもらってパクっています」
というなら、
確かに反論の余地はない。
こう言ってくれれば
僕だって、
「なるほど完璧な作戦っスねーーっ
不可能だという点に目をつぶればよぉ〜〜」
と東方仗助さながらの返信をしたのに。
実際、
サイコパシー傾向が高い人ほど
自分から「被害者アピール」をする
傾向があると指摘されている。
こういった被害者ポジションを使った
「論点のすり替え」には、くれぐれも注意が必要だ。
ちなみに、
彼らが他人のブログ記事を
チマチマとコピペして
AIにリライトさせていた頃、
僕はManusでキーワードリサーチから
記事作成までを自動化できないか検証したり、
Cursorで「第2の脳」を構築したりしていた。
だから、どちらが
AI時代に適応しているかなんて
比べるまでもない。
僕は
「AIに記事を書かせること」を否定したんじゃない。
「他人の記事をパクること」を批判しただけだ。
にもかかわらず、
僕がAIで文章を作る方法なんかを発信すると、
「私はAIが出た時からAIブログを推奨していました。
昔はAIで記事を書くことを否定していた人たちも
最近はようやくAIで記事を書く時代だと認めたようですね。」
なんて言ってくるからたまらない。
言葉は通じるけど会話が通じない。
AIに記事を書かせる量で言えば、
おそらく僕のほうが彼らの何十倍、
下手したら何百倍も書かせている(笑)
このクソリプにも
丁寧に返信しようとしたのだが、
返信する前にブロックされるという
謎ムーブを決められたので、結局返信できなかった。
ただ、あまりにも典型的な
「ガリレオの詭弁」のサンプルだったので、今でもよく覚えている。
「批判されている=正しい」ではない
「ガリレオの詭弁」が厄介なのは、
「批判されている=自分が正しい」と脳内変換してしまう点だ。
これは、
カルト宗教の信者や
陰謀論者にも共通する心理構造だ。
こうなると、
批判を受けるほどコミュニティ内の結束が
かえって強まるという面倒な性質が働く。
外部からの指摘が
「仲間を守るための大義名分」に変わり、
叩かれれば叩かれるほど、
内側の結束は強固になっていくのだ。
たとえば、以前紹介した
「AI学習は犯罪なのか?」という記事もそうだ。
▼AIに教材を学習させるのは「犯罪」なのか?
文化庁の見解をもとに解説
→ https://ul-plus.com/l/m/8l2cMhrFPZkaNP
これだって、
本来、犯罪と判断するには、
「著作権侵害に該当するのか」
↓
「犯罪成立の要件まで満たしているのか」
↓
「刑事裁判で有罪と判断されるのか」
という論点を分けて考える必要がある。
この程度のことは
司法試験を受けていない
法学部の大学生でも知っていることだ。
だから、
「著作権を侵害した!
だからお前は犯罪者だ!」
と一足飛びに断定するのは
法的な議論として雑すぎる、と
丁寧に解説したつもりだ。
それなのに、ここでも
「批判されるのは自分が正しいからだ」と
ピントの外れた主張を投げつけてくる人がいる。
「小林がムキになるのは図星を突かれたからだ」
「どちらが正しいかはいつか必ずわかる」
「また権力者が新しい考えを潰そうとしている」
・・・こんな具合だ。
僕はいつ権力者になったんだ?
あまつさえ、
「一般の会社に勤めてる人は他人を批判したりしません」
なんて言ってくるからもはやコントだ。
自分たちは確たる根拠もないのに
他人を「犯罪者」と批判しておきながら、
反論されたらこの言い草だからお話にならない。
一般の会社では、
公然と他人を犯罪者と
決めつけていいと教わるんだろうか?
僕は会社勤めを
したことがないからわからないけど、
もしそうだとしたら一般の会社治安悪すぎだろ。
「記事をパクるな」という指摘には答えず、
「批判されるのは時代を先取りしている証拠だ」と
論点をズラすのと同じ構図だ。
こうなってしまうと、
もはや議論は成立しない。
彼らは「真実」ではなく、
「自分が信じたい物語」だけを見ているからだ。
もちろん、人間誰しも
信じたいものだけを信じてしまう傾向はある。
ある程度は仕方がないにしても、
それが過激化すると、
現実が一切見えなくなってしまう。
彼らが信じられるのは、
著作権法の条文でも、
文化庁の公式見解でも、
Anthropicの訴訟結果でもない。
「教祖様のお言葉」だけなのだ。
これは、あなたが
SNSで誰かの主張を目にするときにも
気をつけておかないといけない。
「叩かれている=怪しい」わけでもなければ、
「叩かれている=孤高の天才」というわけでもない。
批判の有無や多さは、
正しさの判定基準にはならない。
結局のところ、
その人の主張が正しいかどうかと、
その人が批判されているかどうかは、
完全に切り離して考えるべき別の問題なのだ。
たとえ100人から袋叩きにされていようと、
根拠と論理が妥当なら、その正しさは揺るがない。
逆に、
100万人から熱狂的な支持を集めていたとしても、
支持者の多さは正しさの証明にはならない。
見るべきなのは、
「誰が言っているのか」でも、
「どれだけ叩かれているのか」でも、
「どれだけファンがいるのか」でもない。
その主張を支える
「客観的な事実」や「確かな根拠」があるのか?
反証を突きつけられたときに、
筋道を立てて「論理的に説明できる」のか?
見るべきポイントは、そこだけだ。
ところが、
「批判されるのは、自分が正しいからだ」
という思考回路に陥ってしまうと、
・反論される
↓
「やっぱり自分が正しい」
・証拠を突きつけられる
↓
「権力側が潰しにかかってきた」
・専門家に否定される
↓
「所詮、古い専門家には理解できない」
というように、
どんな反撃を受けても自分が勝ってしまう
「無敵のゲーム」が完成してしまう。
カルト宗教や
陰謀論の信者たちはまさにこの状態だ。
こうなってしまうと、
もはや客観的な事実を突きつけても、
本人の考えを修正することはできない。
なぜなら、
突きつけられた反証そのものが、
「自分の正しさ」を補強する燃料に
変換されてしまうからだ。
こちらが証拠を積み上げるほど、
相手は持論への確信を深めていく。
指摘が的確であればあるほど、
「自分は迫害されている」と
陶酔する材料が増えていく。
だからこそ、
他人の主張を見極めるときに
一番注意しなければならないのは、
「その人が批判されているかどうか」じゃない。
「その人は、
自分の主張を『何』で証明しているのか?」
ここを見極めることだ。
事実関係なら「客観的な証拠」を見る。
技術の話なら「公式の仕様」を見る。
科学の話なら「論文(エビデンス)」を見る。
行政の見解なら「一次情報」を見る。
法律の話なら「条文」や「判例」を見る。
そして、
間違っていたら素直に改める。
本来、それだけのことなのだ。
昔と違って、
いまはGoogleもChatGPTもある。
論文や公式情報なんて誰でも簡単に調べられる時代だ。
それすら怠り、
自分に都合の悪い反論をすべて
「自分が正しい証拠」にすり替え始めたら、
それはもう議論じゃない。
ただの「信仰」だ。
インターネットやAIがいくら進化し、
情報がどれだけ溢れかえろうとも、
人間の本質はそう簡単には変わらない。
人間は、
信じたいものしか信じない生き物なのだ。
その性質をきちんと理解した上で、
自分の頭で考え、正しく見極める力を身につけていこう。
UNLIMITED CLUB 小林憲史
追記
「AI学習は犯罪なのか?」に関しての
関連記事まとめはこちら。
カルト宗教や陰謀論に
心酔する人たちの心理構造についても学べる。
1.AIに教材を学習させるのは「犯罪」なのか?文化庁の見解をもとに解説
→ https://www.unlimited-club.com/etc/ai-learning-legal.html
2.正しさよりもわかりやすさを選ぶ「タブロイド思考」
→ https://www.unlimited-club.com/etc/tabloid-thinking.html
3.「Agent Skills」は不要になるのか?論理的に解説
→ https://www.unlimited-club.com/etc/skills-needed.html
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